日本医師会創立  昭和22年11月1日
高山医会創立  明治6年
高山市医師会創立  昭和22年8月24日
日本医制公布  明治8年

現在、高山市は、小京都飛騨高山のイメージが定着し、木の国から観光都市へと変貌しつつ、現在に至っている。
この地において、当医師会は今年で新制医師会として50有余年、自治医会創立120年以上の歴史を経ている。
医家銘々録をたどれば、天平(765年)の医人粟田道麿を祖とする医家もあるが、組織体としては明治6年高山自治医会を創立した。以後、先哲各位は中央からの医制あるいは施工規則によりかなり先駆けて進取運用してきた。明治19年には斐太中学校校医を置いた。勅令による校医設置は明治31年のことである。
 戦後新制医師会発足は昭和22年、同時期に岐阜県学校保険会の前駆とも言うべき学校衛生会創立。戦後、混沌困窮の時代において、学童の栄養失調、体位低下解消に努力した。
 また特筆すべきことに、昭和26年に高山市医師会報発刊し、現在に至るまで継続発行している。
 休日診療は、昭和37年5月より輪番在宅制で発足、現在の健康管理センター休日診療所に引き継がれている。
 現在、高山市の人口は約7万人、飛騨の人口は約13万人、高山市の周囲も含めて、開業医59軒(直診6軒)であり、病院は、久美愛病院、高山赤十字病院、国立療養所高山病院の3病院です。因みに大正4年開業医数、病院をのぞいて40軒でした。当地でも少しずつ、医師数の増加と世代交代と診療科目の増加をみつつある。


高山市医師会